家飲み文化部⑤ 文学の中の家飲みシーンを再現してみたら

内田百閒、村上春樹、向田邦子… 彼の文豪が描いた家飲みシーンとは? お酒もすすむ読書の秋をお届けします。

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物語や随筆を読んでいると、時折軽妙で鮮やかな筆致で描かれた家飲みシーンに出くわすことがありませんか? 酒飲みにとってはそんな一文に出会ったが最後、どうしてもそのシーンが頭から離れず、自分も今すぐこれと同じお酒や肴を味わってみたいという強い衝動に駆られます。ということで今回は、文学の中の素晴らしき家飲みシーンを再現。本に書かれた文章を頼りにちょっとだけ妄想力も働かせながら挑戦してみます。

内田百閒の「おからでシャムパン」


内田百閒(1979)『御馳走帖』
中央公論新社


内田百閒は明治から昭和にかけて活躍した、夏目漱石門下の小説家・随筆家。不気味な幻想を描いた小説や、独特のユーモアセンスを効かせた随筆を多く執筆しています。大の鉄道好き・猫好きとして知られていますが、それと同じくらい食べること・飲むことも好きだったご様子。

随筆集『御馳走帖』には、幼い頃飲んだ牛乳の思い出から、飲酒歴、船の上で食べるカレーや夢に見るほど好きな饅頭のことまで、食や酒へのこだわりが細かく愉快に書かれていて、食いしん坊で飲兵衛だった内田百閒の人柄が伝わってくる内容です。

一方借金も多かったようで、今回紹介する「おからでシャムパン」の中にもその苦労が垣間見える一文が。おからをこぼさないようにそろりそろりと食べている文豪のチャーミングな姿が目に浮かびます。
 
盛つた小鉢から手許の小皿に取り分け、匙の背中でぐいぐい押して押さへて、固い小山に盛り上げる。おからをこぼすと長者になれぬと云ふから、気をつけてしやくるのだが、どうしても少しはこぼれる。その所為か、いまだにいろいろとお金に困る。 小皿のおからの山の上から、レモンを搾つてその汁を沁ませる。おからは安いが、レモンは高い。この節は一つ九十円もする。尤も一どきに一顆まるごと搾つてしまふわけではない。 ――中略―― それから暫く味附けに掛かる。淡味を旨とし、おからに色がつかない様に気をつける。その為に、いろんな物を入れて混ぜる事は避けるが、この頃はまだ去年の秋の新しい銀杏が手に入るので、大概いつも入れてゐるけれど、その外にはどんな物が適当か。 ――中略―― お膳の上のおからに戻り、箸の先で山を崩して口に運ぶ。山は固く押さへてあるから、箸の先に纏まつた儘で、ぼろぼろこぼれたりはしない。又レモンの汁が沁みてゐるので、おからの口ざはりもぱさぱさではないが、その後をシヤムパンが追つ掛けて咽へ流れる工合は大変よろしい。

内田百閒 「おからでシャムパン」
再現してみた!
スパークリングワインとレモンおから
本の中で指南されている通り、具はシンプルに銀杏だけにし、白だしと砂糖少々でごく薄味に仕上げてみました。レモンをギュッと搾って食べてみると、これまで食べた卯の花とは違うさっぱり爽やかな味わい! 百閒先生に倣ってシャンパンを、と行きたかったのですが、そんな贅沢をして借金を抱えるわけにはいかないので、ここはカジュアルなスパークリングワインで。それでもこのレモンおからとの相性は想像以上でした。特に銀杏のねちっとした食感と少しクセのある独特の風味が、泡のワインに意外なほど合います。銀杏が美味しいこの季節にぜひお試しください。

向田邦子の「母に教えられた酒吞みの心」


向田邦子(1985)『女の人差し指』
文藝春秋


テレビドラマの脚本家、小説家として活躍した向田邦子のエッセイ集『女の人差し指』。向田さんは、この本の中でも「本当は板前さんになりたかった」と書くくらい料理好き。そのうえ、飲むほうも「どちらかというとイケる口」だったようです。

このエッセイ集には、向田さんが1981年に航空機事故で亡くなる3年前に、東京・赤坂で妹と一緒に開いた小料理店「ままや」の様子も描かれています。自分で店を開いてしまうほど食べること・飲むことに好奇心旺盛。それには幼いころの食卓の風景が大きく影響しているようです。
酒吞みはどんなときにどんなものをよろこぶか、子供心に見ていたのだろう。父のきげんのいい時には、気に入りの酒のさかなを、ひと箸ずつ分けてくれたので、ごはんのおかずとはひと味違うそのおいしさを、舌で覚えてしまったということもある。 酒のさかなは少しずつ。 間違っても、山盛りに出してはいけないということも、このとき覚えた。 出来たら、海のもの、畑のもの、舌ざわり歯ざわりも色どりも異なったものがならぶと、盃がすすむのも見ていた。 あまり大御馳走でなく、ささやかなもので、季節のもの、ちょっと気の利いたものだと、酒吞みは嬉しくなるのも判った。

向田邦子 「母に教えられた酒吞みの心」
再現してみた!
向田邦子の「酒吞みの心」再現
向田さんの言う通り、季節感・色どり・山海の幸を意識して、お酒がすすみそうなさかなを並べてみました。秋刀魚の刺身、柿の白和え、里芋といかの煮物、小松菜と海苔のおひたし、秋ごぼうの胡麻和えの5品。と言っても自分で調理したのは、柿の白和えとごぼうの胡麻和えのみ。あとはスーパーで買ったお惣菜とパックのお刺身を盛りつけただけです。まったく手は込んでいませんが、豆皿や小鉢に少量を盛りつけると、なんだかそれっぽい雰囲気に。さすがに毎日この品数を用意するのは大変ですが、たまにはこんな風に家で小料理屋ごっこをしてみるのも楽しいかもしれません。

村上春樹の「黒ビール&ホウレンソウとちりめんじゃこ」


村上春樹(1991)『ダンス・ダンス・ダンス(下)』
講談社 
 

村上春樹の小説に登場する主人公は、“女の子には不思議なほどモテるが、どこか喪失感を抱えたシティボーイ”であることが多いのですが、この『ダンス・ダンス・ダンス』も例外ではありません。主人公である「僕」はフリーライターで、都内で一人暮らしをし、基本的に自分が食べるものは自分で作り、夜はだいたいビールかウイスキーを飲んで寝ています。

村上作品の大きな魅力のひとつが、どの小説にもお酒を飲むシーンや調理風景がいかにも美味しそうに描写されていること。村上春樹は作家になる前にジャズバーを経営し、簡単な酒のつまみなども出していたというので、その経験が生きているのかもしれません。
僕は鞄を整理して旅行中の領収書を集め、牧村拓に請求するものと僕が自分で払うものとに分けた。 ――中略―― 清算を終えると、ホウレンソウを茹でてちりめんじゃこと混ぜ、軽く酢を振って、それをつまみにキリンの黒ビールを飲んだ。そして佐藤春夫の短編を久し振りにゆっくりと読みかえしてみた。何ということもなく気持ちの良い春の宵だった。夕暮れの青が透明な刷毛でかさね塗りされるみたいに一段また一段と濃くなり、夜の闇に変わっていった。

村上春樹 『ダンス・ダンス・ダンス(下)』
再現してみた!
村上春樹の「黒ビール&ホウレンソウとちりめんじゃこ」
素直にホウレンソウを茹でてちりめんじゃこを和え、酢を少量かけただけ。“キリンの黒ビール”が残念ながら入手できなかったため、キリンが輸入している「ギネスビール」を合わせてみました。酢はワインビネガーとかではなく、一人暮らしの台所にもありそうなごく普通のお酢。酢を振っただけで果たして美味しいのか? と怪しく思いつつ一口食べて、ギネスをごくり。なるほど、確かに黒ビールにはアリかも。ちりめんじゃこの淡い塩味と酢の酸味が、香ばしく優しい味わいの黒ビールにすんなり合いました。ちょうどザワークラウトと黒ビールを合わせる感じに似ています。物語の中では、この後「僕」の家に友人がやってきて、彼のために他にもいくつか簡単なおつまみを手際よく作るのですが、これまた美味しそうに書かれていて、おつまみづくりの参考にもなります。

川上弘美の「茶碗酒&鮭ほぐし、柿の種」


川上弘美(2004)『センセイの鞄』
文藝春秋


川上弘美の代表作の1つ『センセイの鞄』。駅前の居酒屋で十数年ぶりに再会した高校時代の恩師「センセイ」と主人公「ツキコさん」の淡く切ない物語。

二人がいつも会う場所が酒場であるため、心奪われる魅力的な酒の肴がいくつも出てくるのですが、家飲み派として絶対に見逃せないのが、飲み屋の帰りに二人がセンセイの家に立ち寄って、その日最後の一杯を締めくくるシーン。酒を酌み交わすことで築ける関係があるということを、この物語は教えてくれます。
ちゃぶ台を広げ、部屋の隅に置いてある物の間から一升瓶をひっぱり出し、大きさの違う茶碗にセンセイは酒をなみなみとついだ。 「どうぞ召し上がれ」と言い残し、センセイはいったん台所に入った。八畳間は庭に向いていた。雨戸が一枚ぶんだけ開かれている。ガラス戸越しに、木々の枝がうすぼんやりと浮かんで見えた。花の季節ではないので、何の木だかわからない。もともと植物にはあかるくない。鮭をほぐしたものと柿の種を盆に載せてきたセンセイに、 「お庭の木は何ですか」と聞くと、 「桜ばっかりですよ」と答えた。 「全部桜ですか」 「ぜんぶがぜんぶ。妻が好きで」 「春はきれいでしょうね」 「虫はつくし秋は枯れ葉がやたらに多いし冬は枝ばかりでさむざむしい」さほどいやそうにでもなく、センセイは言った。

川上弘美 『センセイの鞄』
再現してみた!
鮭ほぐしと柿の種
センセイは妻に逃げられて、現在は一人暮らしという設定。おそらく“鮭のほぐしたの”というのは、わざわざ鮭の切り身を焼いてほぐしたものではなく、おにぎりの具などに使われるビン詰めのフレーク状のものだと想像しました。結構塩味が強いので、なみなみついだ日本酒もすすみます。柿の種はビールのつまみというイメージが強かったのですが、米でできているのでもちろん日本酒ともマッチ。手の込んだつまみも良いですが、こういう肩肘はらない肴でお酒を飲みながら、ゆるゆると言葉を重ねていくのもなかなかオツなものですね。

壇一雄の「ウイスキー&手羽先ワイン煮」


池波正太郎編(1984)『日本の名随筆 26 肴』
作品社


池波正太郎が「酒の肴」をテーマに日本の名随筆を編纂した1冊。北大路魯山人、開高健、吉田健一など食通文人たちの酒の随想が連なる中、家庭で簡単に作れる酒のつまみを紹介しているのが、壇一雄の「わが身辺に低廉の佳肴あり」という一編です。

『火宅の人』『真説石川五右衛門』を代表作とする小説家・壇一雄は、文壇随一の料理好きとしても知られる作家。食への愛が溢れた料理指南書『檀流クッキング』にも思わず作りたくなる豪快なレシピの数々が紹介されていて、こちらも家飲み派の皆さまにおすすめの一冊です。
手羽先もまたウイスキーのサカナに仕立てることは、至極やさしい。まず、手羽先に塩コショウをして、ピッタリ蓋のできる鍋に入れる。ニンニクを一片二片、叩きつぶしてほうり込み、ネギやニンジンのシッポも入れる。さて、葡萄酒少々、バターを少々、水を手羽先の半分ぐらい入れて、もしあれば香料の月桂樹の葉一枚、パセリの茎二、三本、クローブ一本、エストラゴンの葉少々。ぴったり蓋をして、水のひいてしまう寸前まで煮つめれば、それででき上がりということになる。とろけるような、酒のサカナになること請け合いだ。

壇一雄 「わが身辺に低廉の佳肴あり」
再現してみた!
壇一雄の「ウイスキー&手羽先ワイン煮」
手羽先煮と言えば醤油ベースの甘辛味が一般的ですが、これは調理中の匂いからして別物。ワインとバターで煮詰め、ローリエやクローブなどの香辛料も加えているので、100%洋風の甘くない酒のつまみです。これがスモーキーなウイスキーによく合います。味付けは塩コショウとバターの塩分だけなので、手羽先に塩を振る時は気持ち強めが良いと思います。文章中にある通り、鍋に材料を入れて蓋をして煮るだけなので簡単。なのにちょっと気の利いたつまみになるのが、いかにも「檀流」という感じ。ぜひ大量に作って常備しておきたい一品です。


いかがでしたか? 文学作品はレシピ本ではないので、再現するにはそこに書かれてある限られた文字情報とあとは想像力だけが頼り。だからこそ正解はなく、読み手ごとに違ったものができるのも楽しいと思います。読書の秋、皆さまも本を片手に、素晴らしき家飲みの世界を演出してみてはいかがでしょうか?

※ 記事の情報は2018年10月18日現在のものです。
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