どぶろく最前線⑤ 「唎酒師」創設者が故郷でどぶろく造り
日本酒のソムリエ”唎酒師”を立ち上げた右田圭司氏が、故郷の山口県防府市でどぶろく造りを始めたと耳にしました。料飲サービスの視点から日本酒を長年サポートしてきた彼が、なぜ今「どぶろく」なのか? その想いをお聞きしました。
どぶろくへの第一歩は農業参入
右田 そもそものきっかけは体調を崩した母親の介護するため、65歳の時に東京から山口県防府市に帰郷したことです。自分が今まで培った経験や酒造りに関する知識・人脈などを生かして何か故郷に貢献できることはないかなと考える中で、日本酒の原型であるどぶろくにたどり着きました。
――特区でどぶろくを造るとなると、まずは自治体に特区を申請してもらう必要がありますね。そして特区で製造免許を申請できるのは特定農業者(農家民宿やレストランなど酒類を提供する施設を経営している農業者)でないといけません。新規参入にはかなり高いハードルかと思います。右田さんのご実家は農家だったのですか。
右田 いえいえ、私の家は農家ではありません。この構想が実現できたのは高校時代からのたくさんの友人の協力のおかげです。まず同級生で十町歩ほどの農地を持つ仲間が農業法人をしていたので、そこから三町歩を借りる契約を取り交わし、米を作ることにしました。そして日本伝統濁酒研究所という会社を立ち上げ、会社の定款の中に農業を入れました。これを地元の農業委員会に認めてもらえれば農業者になれると思ったわけです。
しかし簡単には認めてはもらえませんでした。年間栽培量、農作業の人員名簿、農機具はどうするのかなど細かく詰めた計画を求められ、何回も計画書を作ってやっと農業人として認められスタートできました。その辺りは同級生の廣嶋君が粘り強くまとめて交渉してくれました。
一方で、税務署に相談しながら「その他の醸造酒」の製造免許の取得準備を始めました。自宅の敷地内に小さな醸造場の建屋を建設し、酒類製造の講習会を受講、特区免許取得の飲食店許可を得るために自宅の改装なども同時並行で進めていきました。
どぶろく特区申請に行政を動かす
右田 おっしゃる通り、どぶろく特区の申請自体は市役所が国に構造改革特区として行うのですが、これもなかなか時間がかかりました。
過去に山口県では「ホタルといで湯の里」(下関市豊田町・2006年)と「古代の歴史ロマン薫る米どころ田布施」(田布施町・2010年)の二つの特区が認定されていましたが、どちらも実際にどぶろく製造事業に手を挙げる人がいませんでした。要件が厳しいので、採算を考えたり、事業として検討したりした結果、みな諦めてしまったようです。
そういったこともあり、本当に実現する事業なのか、市役所は見極めに慎重でした。ですが、たまたま県庁から特区の申請などの経験がある方が市役所に出向してきて担当者になったことと、地元銀行の後押しを得て、市役所も特区申請へと動き出してくれ、2019年12月に防府市のどぶろく特区が認定されました。これでようやく「その他の醸造酒」の特区製造免許の申請条件が整ったわけです。
――世間には知られていないどぶろく特区申請秘話ですね。どぶろくを造りたい人はそれなりにいるとしても、その人が特定農業者になる決断をするのは容易ではないと思います。飲食施設を併設することがネックで参入を見送る方が多いと聞きます。右田さんのように農家ではない方がどぶろく製造に参入するために、どのように条件をクリアしたかというお話は貴重です。
右田 結果的には免許が取れるまでに二年ほどかかりました。それでも特区免許は年間の最低製造量6,000リットルの縛りがないのは大きいです。初年度からそれだけの量を製造販売するのは至難ですから。
当社の申請時は年間84リットルから始めました。コロナがひどくなればしばらく休むということも許されます。まあ結果としては、免許取得後は毎月休まずに仕込みを続けて数量も増えました。「その他の醸造酒」の最低製造数量(6,000リットル)を超える見通しが立てば、特別枠を一般免許に切り替えるのは難しくないようです。
味の変化を楽しむ「どぶろく」
右田 月に三回仕込んで合計80~100リットルです。醸造場が狭いですから余分なタンクを置くことができません。今の体制では製造余力はそれほどなく、増産するには貯蔵用の冷凍庫を増やすか、醸造場を増築しなければなりません。
どぶろくはワインセラーの中で温度管理しながら造っていて、出来上がったら300ミリリットルのラミネートパックに詰めます。それをすぐに急速冷凍機で凍らせて販売しています(税込1,100円)。最近では美容や美腸に良いという評判もいただき、特に女性の方に好評です。
――製造は何名体制なんですか?
右田 仕込みは今日ここにいる3名です。廣嶋と吉村は高校の同級生、板村は一学年後輩で、みんなもうベテランですね。毎回味が微妙に変わるのもおもしろいところです。
ワインセラーの中であっても上部と下部では温度が微妙に変わるし、発酵させるタンクをふたつにするとさらに差が大きくなる。設定温度も15~18℃の中で、季節によって少しずつ変えたりしています。そういう調整によってアルコール度数も多少上下しますが、ある程度甘さが残るようにあえて発酵を抑えることもあります。最後に検定してアルコール度数を計り、ラベルに手書きしていますが、ロットによって度数はまちまちです。バラエティを楽しめると思っていただければ。
特区のどぶろくは自分たちで栽培した飯米で仕込んでいます。今は酒造好適米を作る余裕はありませんが、将来は違う品種の米も作ってみたいですね。米が変わるとどぶろくの味も少しずつ変わりますから。
販売は直営カフェ「みづは」を防府天満宮の大鳥居の入口に設けました。観光でお越しの際にぜひお立ち寄りください。一階がカフェと売店で「瀧水」を飲むことができ、二階には小さな個室もあります。大きな冷凍庫を設置して、できあがったどぶろくは醸造蔵からこちらへ運び、お客様からのご注文は「みづは」から送っています。
どぶろく造りから啓蒙セミナーへ
右田 「瀧水」という名は、このどぶろくをどのように特徴づけるかを考えた中で生まれました。仕込み水には天満宮近くの井戸水を汲み上げて使っています。その水がかつて長州藩毛利家の献上酒「瀧水」に使われていたこともあり、「瀧水」の名称を引き継がせてもらいました。
――お客様の評判はいかがですか?
右田 長くコロナ禍だったということもあり、これまでのところご購入くださるのは古くからの知り合いが中心です。料飲店様は少ないのですが、広島のあるカフェではスイーツに混ぜて提供され、毎月100パックくらい注文を頂戴しています。ほかにも大阪のイタリアンの店が扱ってくれるようになりました。
「瀧水」は口コミだけで広がってきたと言っても良いどぶろくなので、本格的に営業展開するとどうなるか楽しみです。珍しい商品だけに、はまるとヘビーユーザーになってくれる感じもします。今春以降は、東京のSSI(唎酒師の運営団体)事務局も広報活動に力を入れてくれるようです。
――今後はどんな展開をお考えですか?
右田 そもそも日本伝統濁酒研究所の事業目的は、どぶろくを造ることだけではなく、セミナーや講習会を実施してどぶろくの楽しさや酒文化の豊かさを広げることを視野に入れています。特区で製造免許を取得するには自分で作った米だけで仕込み、できたどぶろくを提供する施設が必須という参入ハードルがあります。ただ、この考え方はブドウからワインまで一貫して造るフランスワインに通じる部分も多く、原料特性や個性の違いを打ち出すことは現在の価値観に合っているとも感じていて、テロワールがはっきりと表れる酒だと思います。
味わうときにはそういった部分も一緒に楽しんでいただき、知ってもらいたいと思って「どぶろくを愛でる会」という組織も作りましたが、「瀧水」の発売が2020年の8月でコロナ禍の真最中、集合型のセミナーや講習会の開催は見送らざるを得ませんでした。昨年、興味をもってくれた懇意の唎酒師さんを対象に、ようやくこの場所で仕込み体験も含めた研修会を開きました。おもしろいと大好評でしたので、今春以降は本格稼働していくでしょう。今後は東京が中心になりますが、地方のどぶろく生産者を訪問するなど、年に数回、開催できると思います。
――体験型の研修やセミナーが本稼働するのは楽しみですね。どぶろくは飲んで楽しいですし、製造体験は幅広い層にアピールできそうです。本日はありがとうございました。
(2023年3月19日・於日本伝統濁酒研究所/聞き手:狩野卓也・酒文化研究所)
※記事の情報は2023年7月20日時点のものです。
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