石原昌家・岸政彦監修 沖縄タイムス社編『沖縄の生活史』の再現レシピ《肴は本を飛び出して㊿》
連載50回目となる今回は、ちょっぴり趣向を変えてお届け! 沖縄の歴史とともに生きてきた人々の来し方を、100人の聞き手が100人の語り手に聞きまとめた『沖縄の生活史』。本書で聞き手のひとりとして参加した沖縄出身の筆者が、自身の篇の中から幼なじみの母に教わった2品を再現します。家飲み大好きな筆者が「本に出てきた食べ物をおつまみにして、お酒を飲みたい!」という夢を叶える連載です。
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本や漫画に登場する料理を再現して家飲みのおつまみにするというこの連載が今回でめでたく50回目を迎えることになりました。筆者の趣味を丸出しにして好き放題書かせていただく企画がこんなに続くとは…。ただただ、ありがたい限りです。
おそらく最初で最後の大きな節目となるはずなので、いつもとは少し趣向を変えてみたくなりました。お付き合いいただけると嬉しいです。
今回ご紹介するのは『沖縄の生活史』。
生活史を専門とし、沖縄でのフィールドワークも濃密に行っておられる社会学者・作家で京都大学教授の岸政彦先生が、『東京の生活史』(筑摩書房)に次いで監修された聞き書き書です。今回は、沖縄国際大学名誉教授の石原昌家先生とお二人での監修。
『東京の生活史』を購入し、とても興味深く読んでいた沖縄出身の私は「これは絶対に参加したい!」と即座に応募。応募者が多く最後は抽選になったようですが、運よく聞き手として参加できることになりました。
事前の説明会などでは、書く際に「聞き手の感想や主観は入れないように」「淡々と聞き手にまわるように」と幾度も言われたのが印象的でした。確かに『東京の生活史』を読んでいても、大きな起承転結があるわけではなく「えっ、こんな終わり方なの?」と思う章が多々ありました。それがまた一般的な物語や記録書とは違ったリアルさを感じさせ、通りすがりの家のちょっと散らかったリビングが細部まで見えてしまった時のように微かで静かな興奮を覚えたものです。
語り手を選ぶにあたり、企画としてはできるだけ沖縄の戦前・戦後を語れる人が望ましいのだろうなと思いつつ、私は食べ物関係の執筆で(なんとか)暮らしている今の自分に少なからぬ影響を与えてくれた恩人に話を聞くことにしました。
話を聞かせてもらったのは、幼なじみの母上・文子さん。料理上手のもてなし上手で、中学生の頃から関西出身の文子さん自慢のお好み焼きを始め、さまざまなおいしい料理を食べさせてもらい、長じては作ることと食べてもらうことの楽しさを自然に教えてもらった大恩があります。
現在でこそお好み焼き屋ももんじゃ屋もある我が故郷の石垣島ですが、約40年前当時、外食はごく稀で「家の味」以外に触れる機会がうんと少なかったのです。
その時に食べさせてもらったお好み焼きの味は今でも忘れられません。マヨネーズとケチャップをミックスしたオーロラソースがかかっていたのはハイカラだったなぁ。
文子さんは兵庫県の出身で、看護学校時代にふと訪れた石垣島(当時はアメリカ領)で知り合った地元の農家の男性と沖縄復帰の年に結婚。気候も文化も何もかも違う沖縄で子供を産み育て、看護婦(当時)として忙しく働き、早期退職後は夫婦で本格的に農業をスタート。と、かなりパワフルな生き方をされています。
“内地嫁”(沖縄以外から嫁いできた女性のこと)としてしんどいこともあったでしょうが、自ら行動することでさまざまな障壁を乗り越えてきた彼女の言葉にはとても説得力がありました。中でも忘れられないのがこのくだり。一部が文子さんと私の章の目次タイトルにもなりました。
自分で選んだ道だから、後悔とかそんなんじゃない。前進むだけやな。なんでも「なんくるない」。年とともにその「なんくるないさ」っていう意味がすごく分かるのと、すごく好きになる。努力しなくて、なんとかなるさじゃないわけよ。努力しての結果が「なんくるないさ」、それ全然違うね。言葉のすごさっていうのは実感するね。石原昌家・岸政彦監修 /沖縄タイムス社編『沖縄の生活史』(みすず書房)[聞き手=泡☆盛子(50) 語り手=幼馴染の母・添盛文子(71)]より
「正しいことをしていれば(困難に出遭っても)なんとかなる」。沖縄人(うちなんちゅ)ならずとも、心に留めておきたい言葉ですね。
『沖縄の生活史』ここを再現
その中で最近特に感動した一品は、「そうめんチャンプル」。沖縄の定番的な家庭料理でありながら意外と難しくて、自分ではほぼ作ったことがありませんでした。(茹でたそうめんを炒めると団子みたいに固まる…)
でも文子さんが作ると、麺はさらりと線状のまま。ほんのりニンニクが効いてつまみにもいい。あまりにおいしかったので、今回のインタビュー時に改めて作り方を聞いてみたのでした。
そうめんをぎゅーって絞って、鍋に油引いてニンニク入れといてツナも入れといて、で、そこにある程度の香りついたら、今度はそうめんを入れて、んで、だしの素から塩から入れてもうそれで終わりや。箸は2本じゃなくて、4本でくっつかないように焼き上げる。この時だったらもう火止めといてもいい。混ぜるだけでもいいわ。こういうのを広めて行きたいって思ってる。家に何もないって時の一品にいいでしょ。主食になりおやつにもなるしね。石原昌家・岸政彦監修 /沖縄タイムス社編『沖縄の生活史』(みすず書房)[聞き手=泡☆盛子(50) 語り手=幼馴染の母・添盛文子(71)]より
今回はこのそうめんチャンプルと、冬瓜を使った一品を再現しました。
◾お品書き
- そうめんチャンプル
- 冬瓜とサバみそ煮缶の煮物
沖縄の生活史再現レシピ①┃そうめんチャンプル
・そうめん(茹でる前に乾麺の帯を全部外しておくとスムーズ)
・油
・ニンニクスライス
・ツナ缶(フレークよりチャンクだと食べ応えがあっていい)
・ニラ(食べやすく切る)
・だしの素(沖縄で愛用されている「ほんだし」など)
・塩(お好みで)
<作り方>
① そうめんは茹で上がるのが早いので、先に具を用意しておく。大きめの鍋に湯を沸かす(そうめん用)。別のフライパンに油を引いて弱火でニンニクを炒め、香りが出たらツナ缶も加えて軽く炒めておく。
② そうめん用のお湯が沸いたら袋の表示通りに麺を茹で上げ、流水にとってもみ洗いしぬめりをしっかりと落とす。ざるに強く押し付けるようにしてしっかりと水分を除く。
③ フライパンに火をつけ、そうめんを入れて菜箸4本で混ぜながら炒め、だしの素や塩で味付けする。お好みでニラを加えてしんなりすれば出来上がり。
※私は沖縄のスーパーで売られている顆粒状の「チャンプルーだしの素」(シマヤ)を使用しました。これがあれば食堂や居酒屋のチャンプルーが簡単に再現できるのでおすすめです。
■食べてみました
できた! そうめんがお団子にならず線のままのチャンプルができましたよ! 嬉しい! ニラは文子さんレシピにはありませんでしたが個人的に好きなので加えました。カツオっぽいだしの味にニンニクのパンチが効いていいつまみになります。
島人が大好きな泡盛の水割り(やや薄め)と合うのなんの〜。
季節は冬ですが、食卓だけでも夏に戻りたくなったらぜひお試しいただきたいです。
沖縄の生活史再現レシピ②┃冬瓜とサバみそ煮缶の煮物
「冬瓜って冷凍できるんだよ」っていうの。皮むいて種とってね。ひと口サイズに切って冷凍したら時短になってすぐに料理ができるよっていうのを広めていった。意外と冬瓜って時間かかるやんか。柔らかく煮えて、味入るにのね。冬瓜のドゥー汁(筆者注:冬瓜の水分を活かした煮物)ってのは豚肉なんか使うけどそれをサバのみそ煮缶だけでもできるわけ。みそもわざわざ入れんでええやん。お水足すだけで炊き上がるから。それ食べて、残った汁はご飯にかけたら最高やろ。石原昌家・岸政彦監修 /沖縄タイムス社編『沖縄の生活史』(みすず書房)[聞き手=泡☆盛子(50) 語り手=幼馴染の母・添盛文子(71)]より
この話を聞いてから、丸ごと冬瓜をもらっても(島ではよくある)傷ませることなく消費できるようになりました。
冷凍することで繊維が壊れるためか、あっという間に柔らかくなって味がしみやすくなるメリットもありますよ。
・冬瓜(皮をとって種を除き、ひと口大にカット。できれば冷凍しておく)
・サバみそ煮缶(煮汁ごと使う)
・水
<作り方>
① 鍋にサバみそ煮缶と冬瓜を入れ、冬瓜が浸るくらいまで水を足して中弱火で15分ほど煮る。
② 火を止めて30分ほど置くと冷める間に味がしみてよりおいしくなる。
■食べてみました
いやいやどうして、ってくらい簡単です。それなのに手間をかけた味。あっという間に冬瓜がとろりと煮えていくのも気持ちいい〜。
私はショウガ好きなのでおろしショウガをトッピングしましたが、お好みで七味や一味、ネギなどを添えるとおつまみっぽさがアップすることでしょう。
これは泡盛のみならず、日本酒、焼酎ともばっちり合いますねっ。
***
生活の中で生まれた、なんてことないようで工夫が隠された料理。どちらもしみじみと味わうことができました。
私はゆるく「食」にフォーカスした聞き書きをしましたが、『沖縄の生活史』にはまだまだ知られざる沖縄の人々の声が掲載されています。
目次の一部を抜粋しますので、ご興味があればぜひお手に取ってみてください。
あの時の東京はね、お店の正面に「沖縄者お断り」って書いてあったんだよ。野蛮人と言ってから
聞き手=安里優子(五七) 語り手=母・池原春子(八四)
爆弾の破片とか、買いに来る業者がいたわけ。家にね。そこの業者さんに売ったりしてた。小遣い稼ぎ。一キロ売ったらいくらだよということで
聞き手=安谷屋佑磨(二九) 語り手=父(六二)
燃やした記憶はないけどよ、どうせ俺はもう沖縄に帰らんってからさ。捨てたような気がする。もう要らないって、帰るつもりはないって
聞き手=島袋幸司(三八) 語り手=沖縄本島中部の男性(七〇代)
だから学校も行っていないから食べ歩いて聞いて。食堂に帰ってそのように作って、味して「あ、この味だ」って思ったら、これで店の味にする
聞き手=城間碩也(二四) 語り手=祖母(七七)
新川のお墓へ行く時は、牛に車ひかせて、みんな乗せて行った。牛はゆっくりだからいいわけさ。あー、あの時、カメラがあったら写したのにねー
聞き手=松井裕子(七一) 語り手=中村トヨ(八六)石原昌家・岸政彦監修 /沖縄タイムス社編『沖縄の生活史』(みすず書房)
※記事の情報は2023年12月5日時点のものです。
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